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煌めきボタン 邪馬台国所在地解明の決定版!! 煌めきボタン

Tsuki Tsuki        Tsuki Tsuki

          ◎ 邪馬台国入門にお薦めの一冊

            『邪馬台国の秘密』  高木 彬光
                        (角川文庫)


 日本史で最大級の謎とされている邪馬台国の所在地を解明した本は専門の史学者から民間の趣味人に到るまで数多くの著作が刊行されていますが、高木氏のこの作品は探偵もの『神津恭介シリーズ』の主人公、 神津恭介が肝炎で入院中に見舞いに訪れた一高時代からの親友で推理作家の松下研三から、邪馬台国所在地解明本の執筆を依頼されて安請け合いしたが行き詰まっているいることを聞き、 抜群の推理力を発揮してベッドの上に居ながらにして選び抜いた資料を科学的に検証し、見事に邪馬台国の所在地を解き明かしてみせるという異色のもの。

 本書での神津恭介による邪馬台国所在地解明最大の見所は従来、邪馬台国の所在地として九州説を採る研究者も畿内説を採る研究者も一様に信じて疑わなかった、九州上陸地点を見直したことであろう。
 邪馬台国のことが記されている『三国志 魏志 東夷伝 倭人の条』、通称『魏志倭人伝』によれば魏使が九州に上陸した地点は末盧国(まつらこく)となっていることから、音が近い現在の松浦半島に比定されていた。ところが神津恭介はこの通説に疑問を感じ、徹底的に洗い直した。九州北岸は弥生時代以前から海退現象が続いていて、 魏使がやってきた時代には松浦半島付近は山がそのまま海に落ち込んでおり、海岸沿いの道というものは存在し得なかったのだ。また、玄界灘の海流の関係からも壱岐から博多以東へ向かうならば松浦半島付近に上陸して陸路を取るよりも、 壱岐から東へ向かって博多湾東端の神湊へ上陸することがもっとも自然で無理が無いことを帆船航行の専門家などの意見を聞きなながら突き止めた。魏志倭人伝に記されている壱岐から末盧国への距離も、神湊を上陸地点とした方がより適合する。
 神湊という上陸地点が決まると、驚くべきことに後は魏志倭人伝に記してある方向と距離に従えば、不思議なほど簡単に邪馬台国へとたどり着くことが出来るのです。
 神津恭介が解明した邪馬台国の所在地は宇佐であり、私が邪馬台国所在地として宇佐に大きな魅力を感じるのは、「東に海があり、千里の向こうにまた国がある」 という魏志倭人伝の一節と適合することです。当時の倭国とされた範囲の中でこの一節が適合できる地域をさがすと、 九州東岸北部と四国東岸ぐらいしか見出すことが出来ないのです。四国東岸が邪馬台国所在地としてまずはそぐわないのは、魏志倭人伝に記された邪馬台国への行程と照らし合わせて火を見るよりも明らかなことです。
 邪馬台国宇佐説は神津恭介の説が初出というわけではなく先例が在りますが途中の行程がまったく異なるのであるから、仮に神津恭介の説が正解であるとするならば先例は邪馬台国宇佐説を解明したことにはならないのです。

 一読すると神津恭介シリーズの一作品として単なる推理ものとも捉えられますが、詳細に見ていくと邪馬台国所在地解明のデータ収集のため、高木氏が相当な努力をされたことを窺い知ることが出来、 専門家の著した専門書と比べて決して見劣りするものではなく、もはや推理ものを装った立派な歴史研究書といえるでしょう。
 専門書に有り勝ちな堅苦しさが無く、邪馬台国研究の歴史や先達の諸説についても比較的詳しく解説してあり、何よりも小説の流れとして邪馬台国のことをまったくと言っていいほど知らない神津恭介に対して、松下研三が事細かに説明していくというものであるため、 邪馬台国に興味を持ち始めてこれから勉強していこう、という方には特にお薦め出来ます。

 私自身も邪馬台国には中学時代より興味を持ち、片手間ではありますが主に文献から所在地の解明を試みています。しかし邪馬台国への道のりを記した唯一の資料である魏志倭人伝自体に矛盾点が在り、明確な邪馬台国の遺跡でも発見されない限り 所在地の解明には何某かの推察を用いなければならず、すべてに於いて100%納得出来る解答は得られないのが当然と云えるかもしれないのです。
 しかし現時点で私は邪馬台国の所在地として高木氏の説(神津恭介説)が最も矛盾が少なく合理的なものであると考えています。
 まさに推理大家の面目躍如といったところでしょう。




煌めきボタン 邪馬台国所在地解明手法の急先鋒!! 煌めきボタン

Tsuki Tsuki        Tsuki Tsuki

     ◎ 邪馬台国をもう少し詳しく知りたい方にお薦めの一冊

          『邪馬台国はなかった』  古田 武彦
                      (角川文庫 他)


 著者の古田武彦氏は元は学者でもなく、個人的に親鸞上人に関する研究をしていたとはいえ邪馬台国研究とは無縁であった。しかし邪馬台国研究の素人であったからこそ、専門の学者には思いも付かない、 或いは思い付いても周囲とのしがらみから表には出せない斬新な手法での所在地解明を進めることが出来たといえるでしょう。
 題名を見ると、「邪馬台国は架空の話であったのか!!」 と早とちりしてしまいそうですが、これは魏志倭人伝に記されているのが『邪馬臺国』(臺は台の旧字)ではなくて『邪馬壱国』(壱は一の旧字)となっていることを古田氏が重視したことに由来するものです。

 魏志倭人伝は3世紀に著者、陳寿が書き記した原本は残っておらず、現在原典として用いられているのは12世紀に書写された版本です。これには12世紀中頃の紹興年間に刊行された『紹興(しょうこう)本』と12世紀末頃の紹煕年間に刊行された『紹煕(しょうき)本』が在りますが、 両者の間にはいくつかの食い違いが有るため、邪馬台国研究者の間ではより早い時期に刊行された紹興本がより正しい原典として用いられてきました。これに対して古田氏は、「刊行(書写)時期だけではなく、内容を詳細検討した上で正誤を判断すべきである。」 と考え研究の結果、紹煕本を原典とすべきであると判断されたのです。
 紹煕本には邪馬台国とは記されてはおらずすべて邪馬一国となっているのに着目した古田氏は、「何故どの研究者も一様に邪馬台国と改定してきたのか。」 という点を考え、出された答えは、「ヤマトと呼びたいがために確固たる根拠も無く勝手に改定したのだ。」 ということでした。
 従来の邪馬台国所在地解明の多くは、魏志倭人伝に記されている地名の発音を元に、現在の類似した地名を比定していくという手法が用いられていた。邪馬台国をヤマトノク二として畿内説を採る研究者の多くは大和盆地へ、九州説を採る研究者の多くは筑後山門郷を邪馬台国に比定していたのだ。 魏志倭人伝に記されている地名を当時どのように発音したのか定かですらないのに、はるか時代が隔たった現代の地名と比べること自体にも疑問を投じている。
 邪馬一国⇒邪馬台国 への誤記改定の他にも、陸行一月⇒陸行一日 など研究者個人の都合による確固たる根拠の無い誤記改定の先例は数多く存在していたのである。
 古田氏はこのような誤記改定は他の確固たる客観的理由が無い限りは絶対に行はず、魏志倭人伝に記されていることを最大限に信じて所在地を解明する手法を選ばれた。
 また、これも従来の研究者が一様に信じて疑わなかった魏志倭人伝中の一里の長さに疑問を覚え、魏志倭人伝のみならず三国志全体から距離を記してある部分を地図上で測定し、魏の一里が従来説の数分の一の距離であることを突き止めた。

 以上のように従来の学者をはじめとする邪馬台国研究家とはまったく異なるアプローチにより所在地解明を試みた古田氏であるが、では氏が突き止めた所在地は何処であったのか。
 古田説による邪馬台国所在地は、これも従来説には無かった博多湾沿岸である。
 この点では古田説に対して少なくはない疑問の声、例えば、「博多湾沿岸の東に向こう側にまた国が在る千里の海など無い。」 等が上がっているが、繰り返し述べますが邪馬台国の所在地解明には何某かの推察を含めなくてはならない点に於いて、魏志倭人伝に記されているすべての条件を満たす説もまた存在し得ないものと考えられます。
 邪馬台国の所在地としては古田説に反目する方も、氏の研究手法・研究姿勢には多く賛同するところを見出せるのではないでしょうか。
 入門者向けの邪馬台国解説書を読んで、更に詳しく邪馬台国を知りたくなった段階の方にお薦めの作品。




煌めきボタン 統計的解析で邪馬台国所在地解明!! 煌めきボタン

     ◎ 邪馬台国研究の世界を知りたい方にお薦めの一冊

          『邪馬一国はなかった』  安本 美典
                      (徳間文庫 他)


 題名、『邪馬一国はなかった』は文中で安本美典氏が御自身でも書かれているように、先に紹介した古田武彦氏の『邪馬台国はなかった』のパロディです。
 安本氏も元は心理学の専門家であり邪馬台国研究には無縁の世界に居られたが、個人的には早い時期から統計的解析を駆使した日本史研究に取り組んでいて、ある時期から邪馬台国研究に没頭されるようになったという経歴を持たれている。この点で古田氏と通ずるところが有り、だからというわけではないのでしょうが安本氏は初期には古田氏の説に傾倒しほぼ全面的に賛同されていた。
 ところが御自身の研究が進むに従い次第に古田説との相違が目立つようになり、遂には好敵手・仇敵といえる間柄となるに到ったのです。
 邪馬台国研究では明治時代の東京大学教授で九州説を採る白鳥庫吉博士と京都大学教授で畿内説を採る内藤湖南博士以来、不思議と同時代に在って真っ向から対立する説を打ち立てるというライバル関係が見られるのだが、応報の激しさに於いて安本氏と古田氏の場合ほど凄まじきは先例が無い。 また、従来の邪馬台国論争では畿内説対九州説という構図であったのだが、両氏の場合は共に九州説であるところは目新しい。もっとも畿内説を採るほぼすべての研究者が大和盆地全体を邪馬台国として半ば漠然と比定するのに対し、九州説を採る研究者は小範囲の地点に絞り込んで特定しているのであるから、 九州説を採る者の間で論争が起こるのはごく自然な事といえるであろう。そうなると今後は邪馬台国九州説という広範な居呼び方はやめて、甘木説とか博多湾岸説などのように改めるべきではないだろうか。
 ともすると論争相手を打ち負かすためだけに論じられる泥仕合の様相を呈すること無きにしもあらずだが、両氏の御互いに負けまいとする情熱が更なる自説の切磋琢磨へとつながっているのもまたまがい無き事実なのです。

 本書は邪馬台国所在地究明というよりは、邪馬台国はなかった をはじめとする古田説への疑問を項目毎に挙げ、これに対する反論・自説と自説を得るに到った研究手法を説明した書であるといえよう。
 安本氏は邪馬台国所在地を解明するために統計的解析という手法を用い、邪馬台国所在地を筑後山門郷近くの福岡県甘木市一帯に比定されたのだが、その所在地さえも本書では前面に押し出されていないのである。このことからしても本書が単純に邪馬台国研究の成果を発表するだけの書ではないことがわかる。 故に本書のみを読まれた場合、「話がまったく見えない。」 という状況になるのが自然な成り行きでもありますから、必ず古田氏の『邪馬台国はなかった』を読了された後に本書を読まれることをお薦めします。両書を読み比べられることにより、更に邪馬台国研究の奥深さが見出せるものと思います。




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Tsuki Tsuki        Tsuki Tsuki

     ◎ 異色の邪馬台国研究を知りたい方にお薦めの一冊

         『ヤマタイ国は阿蘇にあった』  渡辺 豊和
                 (光文社 カッパ・サイエンス)


 地球幾何学という耳慣れない手法によって邪馬台国所在地解明を試みた異色の研究家による書。
 著者の渡辺豊和氏は京都造形芸術大学教授であり、建築の専門家である。渡辺氏もまた邪馬台国研究の専門家ではないのだが、ここでも趣味人による研究が専門の学者には考えも付かないような奇抜な手法によってひとつの成果を挙げていることは、まさに邪馬台国研究の何たるかを示す好例ともいえるでしょう。

 渡辺氏の用いた地球幾何学による邪馬台国所在地解明の方法は、地球上の特異点を結んで意味の在る幾何学模様を描くことにより、より重要な特異点を探し出すというものです。
 特異点とは例えば山であり、山頂を結んで直角三角形とか正方形などの図形が現れた場合にこれを意味の在る幾何学模様として、中線や対角線の延長によって次の作業に進んでいきます。渡辺氏は邪馬台国所在地の解明に取り掛かる以前に、奈良盆地南部に在る大和三山といわれる天香具山と耳成山、畝傍山を頂点とする結んだ三角形が極めて特異な直角三角形を二つ合わせた二等辺三角形になることを発見した。 天香具山と耳成山、忌部山を結んでもやはり特異な直角三角形を合わせた二等辺三角形になる。畝傍山、或いは忌部山から天野香具山と耳成山の中間点を延長すると大和地方随一の神聖なる山、三輪山の張り出し舞台に到る。更には畝傍山と三輪山の真北の勾配が冬至の日の中天時にだけ日陰になるという特異な傾斜角度であることを突き止めた。渡辺氏は自然にこのような特異事項が揃うには余りにも偶然が過ぎるとして、天香具山と耳成山は人工的に造られたものであり、畝傍山と三輪山は人為的に形を整えられたものであるとの結論に達した。 容易には信じ難いことであるが、後の大古墳の造営などを考えればこの程度の土木事業もまったく不可能であるとも言い切り難いところがありましょう。
 大和三山での成果を足掛かりに渡辺氏は他の客観的状況、例えば魏使の出発点とされている帯方郡、現在のソウル付近からの距離により邪馬台国が九州中北部に存在したことは間違い無しとし、九州内部の特異点を探し始めた。
 さすがに九州で特異点とした阿蘇山や高千穂峰、雲仙岳は間違っても人工的に造ることが出来るものではないが、その場合は逆に山々と結んだ図形の特異点となる地点に国の首都などを設けると考えられるのです。その結果から当初、邪馬台国の首都は熊本県中西部の松橋町付近と導き出されたのであるが、女王卑弥呼が居するには余りにも平凡な地点に疑問を抱き、更に追求して卑弥呼の居所が阿蘇山根子岳であると断定した。
 最初に導き出された松橋は政治の実務面を掌握する男弟(王)が居する表向きの首都、阿蘇山根子岳が宗教面を取り仕切る女王卑弥呼の居する宗教上の首都という、複都制を採っていたとしているのです。完全に政教分離された現代に暮らす我々には政治面と宗教面の複都制は理解し難いが、宗教が完全に政治と一体化、或いは政治の一部であった時代に於いては決して珍しいこととはいえないのです。 実際に日本の場合もかなり後代まで宗教上の中心として斎宮なるものが存在していた。

 更に渡辺氏はこれまでほとんど顧みられる事の無かった魏志倭人伝中、邪馬台国までの行程の後に記されている傍余の国についても考証をし、これらの国々が女王卑弥呼の居所である阿蘇山根子岳から外輪山内側を時計回りにまわって西側から出て、熊本県南部の人吉市までの道すがらに在る事を推測し、実地調査でほぼ間違いの無いことを確認されています。
 もっとも傍余の国の場所を推測する根拠となったのが、魏志倭人伝に記されている国名の発音を比定したものであり、魏代の発音までをも考慮しているとはいえ今更という感はある。

 邪馬台国の所在地として阿蘇、或いは阿蘇と松橋の副都制というのは地球幾何学を用いた解明手法とともに非常に斬新なものであるが、私個人的には疑問を感じざるを得ないといえます。
 阿蘇の東に海は無いし、まして松橋となると西側が海に面してます。邪馬台国の国域として一般に想定されているよりも相当に広い範囲をとれば、九州東岸という考えも無きにしも非ずだが、ちょっとご都合主義が過ぎるように思えます。
 しかし邪馬台国所在地として渡辺氏の説が何処であれ斬新な解明手法の存在を知ることは、この書を読む価値を大いに高めているものといえます。




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Tsuki Tsuki        Tsuki Tsuki

     ◎ 斬新な邪馬台国研究を知りたい方にお薦めの一冊

         『邪馬台国五文字の謎』  角田 彰男
                 (移動教室出版事業局)


 邪馬台国の所在地を解明するために魏志倭人伝に秘められた謎を紐解こうとする試みは幾多の研究者が挑んできたことであるが、時に従来誰も着目しなかった盲点とも云うべき部分に解明の糸口を見出す研究者が現れることがある。 その多くが職業として邪馬台国研究をするいわば邪馬台国研究の専門家ではなく在野の研究家であるのは、周囲とのしがらみや既成概念に捕らわれることなく自由な発想で取り組むことが出来るからであろう。

 ここで紹介する『邪馬台国五文字の謎』の著者、角田 彰男氏もそのような在野の研究家の一人である。

 邪馬台国五文字の謎は歴史推理小説という形態を取っているが、内実は角田氏の邪馬台国研究の成果を記したものといって差し支えないだろう。

 T大学理学部教授の津田 晴彦が十年来没頭していた研究の学会発表が終わって一段落付いたところで息抜きのつもりで助手の松井と共に以前より興味を持っていた邪馬台国探しをはじめる。
 邪馬台国研究の中でも最大の課題といっても過言でないのが女王卑弥呼の居す都の所在地を探し出すことであろうが、津田は従来の魏志倭人伝に記された魏使の行程から邪馬台国の都を解明する手法が今ひとつ上手くいかないのは、記載されている方向や里程がそれほど正確なものではないため女王卑弥呼の居す都といったピンポイントを割り出すには無理があるものと考え、 それならば記されている里程に頼らずに他の方法より探し出すことにする。
 何か手掛かりになるものは無いかと魏志倭人伝以外の同時代資料も含めて検証するうち、志賀島より発掘された金印に刻された文字に引っ掛かりを憶える。
 通常当時の日本は『倭』だとされているが、金印には『委』と刻されているのは何故か?
 『倭』を省略して『委』と刻した等、本来は『倭』であるというのが常識とされているが、津田は正式に国交を結んだ証である金印に刻されている以上『委』が正しいものとして検証を進める。

 同様に魏志倭人伝に記されている『一大率』という言葉より、『一大率』という官職を置いたのは『一大国』に相違ないであろうと思い至る。
 ところがである。魏志倭人伝の文脈からすれば『一大率』を置いたのはどう考えても『邪馬台国』である。
 そこで今一度魏志倭人伝を検証すると原書では『邪馬台国』ではなく『邪馬壱国』となっている。通説では魏志倭人伝が記された当時の『台』の旧字体『臺』と、『壱』の旧字体『壹』が酷似しているために誤記されたということになっている。 しかし津田は誤記ではなく『邪馬壱国』が正しいものと判断する。
 すると『一大率』、『一大国』、『邪馬壱国』で『一』が三つ揃うが、これは偶然ではないと考える。(『一』と『壱』は同義語)

 『一大国』は元々は『一国(いこく)』であったが国が発展拡大して『一大国』を名乗るようになった。
 『一国』は壱岐であり、より良い国土獲得を目指して九州本土に進出し、壱岐と九州本土を区別する意味から海の国ともいえる壱岐に対して九州本土には山が多いので山の『一国』ということで『山一国』と称したのであろう。
 これを中国側が音から『邪馬壱国』の文字を当て嵌めたと考えられる。
 金印に刻された『委』も音は『一』『壱』と同じであるから、『委国』は『一国』になる。

 これらを整理してみれば『邪馬台国(正しくは邪馬壱国)』は『一大国』なのであるから、『邪馬台国』が『一大率』を置いたということに何らの不思議も生じないのである。
 また、『一大国』が壱岐であるとするならば、壱岐は『邪馬台国』発祥の地となる。

 更に『委』『壱』から『倭』へ変わっていった理由、『邪馬壱国』から『邪馬台国』へと変わっていった経緯が推測されている。


 津田と松井は一通りの自説がまとまったところで対馬から壱岐、九州北岸へ実地見聞の旅行に出掛け、自説に間違いは無いとの確信を得る。

 帰京後、津田は旅行会社から『邪馬台国壱岐発祥説』に絡めて『邪馬台国、女王の都』を探す懸賞付き謎解き旅行にタイアップする。
 この謎解き旅行の正解発表と講演会の最中、壱岐の『原の辻遺跡』より王の権威の象徴とされる『銅鏡、銅剣、勾玉』が発見されたというニュースが飛び込み、『邪馬台国壱岐発祥説』の強力な裏付けが出現したところで話は終わる。


 魏志倭人伝や同時代資料に記された文字より邪馬台国所在地、更には邪馬台国発祥の地を探し当てるという従来の枠に捕らわれない斬新なアイデアは読み進むうちにまさに目から鱗が落ちる思いがした。
 考えてみれば古代日本への文化流入は中国大陸より朝鮮半島を経て九州北岸へと入るのがメインルートであったことはまず間違いない事であり、後々『邪馬台国』と呼ばれるようになる国が壱岐から九州北岸へ勢力を拡大しながら移っていくというのはその流れに沿うものであり何ら矛盾が無い。
 『邪馬台国』を魏志倭人伝原書に従って『邪馬壱国』とすることや、角田氏の導き出した卑弥呼の居す邪馬台国の都の所在地は過去にも幾人かが提唱しているものであるが、その多くが『邪馬台国壱岐発祥説』のように終始一貫して系統立った理論になっていないためいくつもの疑問点に明確な解答を出せず歯切れの良くないものであった。
 対して角田氏の導き出した卑弥呼の居す邪馬台国の都の所在地は、魏使倭人伝の他の記載事項と照らし合わせると若干の疑問は残るものの、何故その場所を導き出したのかは明確に説明されている点、大いに評価出来るものである。


 最近発表された魏志倭人伝に記された魏使の行程より邪馬台国所在地を解明した説は殆どが陳腐化したものになりつつあるが、角田氏の今までに例を見ない斬新な手法と終始一貫した理論により書かれた本書『邪馬台国五文字の謎』は邪馬台国に興味がある方には是非ともおすすめしたい一冊である。


※,お断り

 『邪馬台国五文字の謎』は初版刊行後あまり時間が経過しておりませんため角田氏の導き出された卑弥呼の居す邪馬台国の都の所在地等、重大なネタバレとなる事項は記すことを避けました。この点、当『邪馬台国の部屋』にて紹介しています他の書籍と異なりますこと御了承ください。


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